2005年11月のお知らせ・コラム
2005.11.28
一茶かるた出荷の季節
遠くまで一茶かるたの出荷が今日から始まりました。県下の学校へは、信教ネットさんを通じてご注文をいただき、順にお届けすることになります。 新しい版が間に合う予定でしたが、紙の入荷が遅れ、まだ新作は 仕上がってきません。でも、11月中に届き、幼稚園では、この季節の行事にお使いいただくのが恒例なんでしょう。毎年のご注文に合わせてお送りしています。 すでに初版発行から四半世紀が経っていますが、こうして使い続けられていまして、うれしいことです。 もうその時小学校入学だった息子と娘は、歳を聞けない境地に差し掛かっています。「結婚」は、我が家のタブーです。 ある学校では、1、2年生は「江戸いろは」。3、4年生はこのかるたを使っているそうです。「江戸いろは」が旧かな使いをしているため、かえって1、2年生には難しいんだ、と先生は言っていました。俳句を勉強するから3、4年生向けにしているのでしょうが、いっそ1、2年生で耳に残してやるのも、得策かな、と思います。知らずのうちに、記憶に入ってくるのがかるたの良さです。繰り返し繰り返し読んでやっていただきたいものです。 ご希望でしたら、ご注文を。定価は1、800円(税込み)、送料は別途必要です。数が多い場合は、サービスになります。
2005.11.13
暖かい日でした。東京も長野も。
今朝私は華道塋心会のお集りにお招きを受けて上京しました。初代お家元が高森町のご出身とお聞きし、改めてそうした先輩がいらしたことに誇りを感じました。 自然を観察し、ありのままに学びながらも、そこに自己の想像力を投じてその道に励むようにと、現お家元からのお言葉が、新しい師範のお免状を受けられた皆様に贈られました。謙虚さと積極性を合わせ持って精進するように、お祝辞があり、それが初代お家元からの教えであることも知りました。 まさにそれは、私への教えでもあります。 私は、自分のきりえ創作は、生業でもあり、目の前の課題に追われた40年あまり。こうした折りをいただくと、自分の来し方を振り返り、反省する良い機会となります。教養講座で却って私が多くを教わって帰りました。 いっそ「きりえ高座」の修行をして、お三味線に合わせて「お題」をいただき、はさみできり紙をするのも、風情があるのかなあ、など、あさまの中でうつらうつら思いながら。 家に帰ると、今日は息子と娘の誕生日でした。娘は友人と外出。息子と二人で、さて、と成れば、行く先は決まっています。焼肉で、ハッピーバースデー、を言いました。ところで幾つに!は聞かないことにしましょうね。おお怖い。
2005.11.12
日本グラフィックサービス工業会
永い名前です。謄写版印刷の時代を経て、印刷業の発展を担ってきた会社の皆様の会です。長野支部50周年の記念会で、お喋りをさせてていただきました。「信州から発信して40年」というタイトルにしました。目の前の小さな役目をきりえで創作し始めてから40年が経つのです。この会発足より10年後でした。 信越放送の番組宣伝の広告創りに、徹夜をしていた時代が大学の2年。間に合わなくて、木版画を紙きりにした草創期が、一気によみがえりました。まだ渋紙に出会う前です。 グラフィックデザインが始まった頃で、カラー印刷の色校正は、東京まで出張していましたね。長野県内を幾つかの地域に分けて カラーグラフを創るプロジェクトが立ち上がり、その取材をしながら、私は、長野県の勉強をさせてもらいました。カラーグラフ 黒部ダム、善光寺、志賀草津高原ルート、上高地、木曽路、伊那路などなど、ああ、ほんとうに懐かしい。 あの時代に創作者7人がグループノイエを結成し、グループ展をしました。この会の何社かがスポンサーだったというご恩有る思い出話もできました。多くの皆様のおかげで今日が有ることを、改めて感謝し、同時代を生きてきた思いに浸った秋の1日になりました。同じ頃に創業されたという社長さんもいて、皆さんは多くの社員を有する立派な社長さんでした。 それに反して私は、生涯現役で創作に執着しようとした初心だけを貫いています。だから、会社は全く大きくなってはいません。極零細企業のままです。それでも、貧乏でも「美しい風景の永遠」を訴え続けていきたいのです。元気だから、まだそうしまーす。私ぐらいはそうしてみます。私のできる役目をどうぞ、与えて下さいますように、皆様におねがいしました。ありがとうございました。
2005.11.11
ぱてぃお蔵庭は美しい
古い蔵群が美しくよみがえって、新しい街区が姿を現していました。その一郭がアクタスで、そのオープンにおよばれしたのです。ようやく長野にも自慢出来る街区が出現。夜明けです。 私は、子供達を育てる時期、もう20年近く前になりますが、アクタスの家具や寝具が欲しくて欲しくて、注文して送ってもらいました。寄木の大テーブルたちには思い出のキズが刻まれ、次々新作を買ったシーツや布団カバーも家族になっています。長持ちします、一生ものです。 私は海外旅行の楽しみは、その街の家具やキッチン用品にであうこと。せっせと歩き回って収集しました。もちろん東京でもそれは同じ。これからは長野でもその楽しみが増えます。もう私は大きなものは揃ってしまっていて、お買い物の楽しみは半減しています。ぜひこれから家庭をデザインされる皆様にお願いします。 買い支えをお願いします。まずはアクタス10周年を迎えられるようにお願いいたします。 その他のお店の開店にも、ワクワクと期待しています。美しい夜景がワインの酔いにさらに美しい色合いを加えてくれた夜でしたよ。
2005.11.07
収穫の秋
霜月になると、収穫祭が各地で始まります。 塩尻市は四日の夜、大きな体育館が満員の盛況で「ヌーボーワインフェスティバル」が開催されました。今年は楢川村合併記念でもあり、私は奈良井宿の応援団の一人としてお招きにあずかりました。木曽ひのきで造られた大橋のきりえが法被になり、市長さんはじめ関係者の皆様が着ていました。懐かしいポスターも会場に飾られ、改めて奈良井宿が塩尻市の大事な観光地として歓迎されている実感をうれしく思いました。奈良井の風情をきりえに表現しながら、私はきりえヌ−ボーから、年季を重ねて来たと言えます。 迎える新年の年賀状デザインも、「奈良井の初雪」のきりえが採択されています。 あの会場にお集りの市民の皆様が、これからは皆で、旧楢川村の大事な文化遺産のすべてを一緒に守り育てて行ってくれるんだ、と思い、ぶどうの香りが強く残るヌ−ボ−ワインの美味しさに酔いながら、新しい絆の感動にも酔いました。 年代物になった私のきりえです。信州のために、どの地域からのお呼びにも私は喜んで馳せ参じますので、お声を掛けて下さい。 収穫祭なので、思いきりはしゃいでしまいました!ごちそうさまでした。
2005.11.02
紅葉の赤
今年も、玄関のヤマボウシが、真っ赤に紅葉しました。朝日が当たって、その色は息を飲む程の赤です。海老や蟹を茹でる時、瞬時に変化する赤に通ずる感動。毎年間違いなく自然の威力を発揮する樹木です。メグスリの樹も、赤を競って追い掛けています。 10月末の土曜、日曜を高山村文化祭に招請され、「風景の永遠展」の今年の予定が終了しました。松川渓谷は、大きな谷一面が、紅葉し、風景の永遠の美を多くのみなさまに鑑賞してもらっていました。ことしは例年より、鮮やかさが物足りないという村の声も聞きましたが、大自然は、正直なので、もしそう言う現象ならば、なにか事情があるのかもしれませんね。りんごはすでに収穫期に達したものがあり、こんなに安くては申し訳ないと思える価格で買わせてもらいました。 お天気の良い週末の展覧会でしたので、りんご栽培の方は、「葉摘み」という作業で追われて観にくる事が出来ない事情もあったようです。りんごに美しい紅い色が実るための作業だそうです。 これから本格的に出荷される「ふじ」は、ぎりぎりまでそうした手をかけられて、私たちの前に登場するんですね。 昨日通過した菅平高原は、から松の紅葉が黄金色で夕日と美しさを競っていました。11月いっぱいは、風景は鮮やかな色合いの紅葉風景で信州は織物の様相に染まります。私は、自分のパレットから色を溶く感覚で、信濃路を走ります。
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