2008年02月のお知らせ・コラム
2008.02.26
クラフト作品展
明日から、クラフト作品展がスタートします。松本市美術館の多目的ホールに、信州木工会の17人の作家さんが「木の愛に魅せられて」のテーマを表現しています。こどもイスを共通テーマとしています。 小さなイスが、これ以上尽くす手は無いな,と思えるまで手が尽くされたその小さな王様のイスは、どれも欲しくなります。 そこにあるだけで「しあわせ」を感じさせてくれる「愛の固まり」。どうぞお出かけになって、歩きたくなる会場を散策してみてください。 私は「ネコの手」という栗の木で造られた「愛の固まり」を毎日手でなでて、木を感じていたいな,と思っています。 そのホールの壁に、私のモノクロ作品を少し展示してあります。木で造られた「愛の固まり」を高い空から眺めているようなけやきの樹々やクモの糸など。相性は良いようです。明日から3月2日まで。1日には「木っぱくん」を使った授業も行われます。おでかけください。
2008.02.21
喜びは突然に
今日は、ずっと願っていたことが叶いました。それは「いのちと平和の森」の次の予定地が与えられたのです。昨年5月1日、発祥の森創りが松本市有地にはじまりました。そこはとても狭い土地でしたが、峯からアルプスを眺めるその風景は、すばらしく、日野原重明先生は、日本一、といつもおっしゃいます。そこに生きた証しの樹を植えたくなるのは、その眺望を見たら、誰もが納得してしまいます。でも、でも狭かったのが悩みでした。森と言わないで庭と言う方が正しいよ、と言われたほど。 4月3日の植樹祭までに、このコックピットに続く土地が与えられないだろうか、いろいろな考えを巡らせて、みんなで手を尽くしていました。 発祥の森にほど近い土地の持ち主の方に、土地探しのメンバーが今日出会えたのです。 森造りの理念を深くご理解いただくことができたのです。どこかで、森は見守られているんだ、と思える出会いでした。感謝しながら、この日記を書いています。 木を植えることで、CO2の削減が出来る数値は、悲しくなるくらい微少であることも学びました。でも荒れ地に木を植えると、今まで森であった土地に植樹、間伐をするよりもはるかにその効果が高まるのです。ここは、そういう木を植えるにぴったりの土地でした。
2008.02.10
灯り絵作品審査
昨夜は雪の中で灯り絵作品の審査を行いました、5年間ではじめてでした。幸い風がなかったので、確かに一点ずつ拝見しながら、進められました。 一般の作品も、だんだんデザインの重要性が浸透してきた感があり、充実してきていて、うれしかったです。グループで製作した作品が大賞になりました。明るい画面が寒夜に効果を発揮していました。努力が積み重なった作品も入賞しています。 またキッズ部門は、傑作が多く、雪で濡れたのか涙なのかグシャグシャになりながら、おおお、これはまいった、を連発しながら楽しく拝見。 私のように40数年刻みを生業にしている者には、マネのできないあっけらかんとしたほがらかな刻み作品の数々です。ロウソクの灯りが善光寺の石畳にゆらゆらと作品群をうかびあがらます。暖かく身支度して、歩き回ってください。街が急に自分に近寄ってくる感じを味わえるはずです。
2008.02.09
教材「木っぱくん」
いのちと平和の森が松本市の山田に造成されています。その間伐材などの細めの枝を細かくカットした木っ端。それは他の樹を大きく育てるため、伐られたものですが教材になって、小学生の造形教室で役に立ちました。 松本市の小学生がたくさんの作品を仕上げました。木工ボンドの特質を知り、枝と枝を接着しようと苦労したり、そこを平に削ると、くっつき易いことに気づいたり、自然のままは、簡単な工夫がたくさんあることを教えてくれました。次は長野市の小学校でもはじまります。ほとんどの枝は、ゴミに捨てられていますが、ちょっと手を加えると、木は無駄無く活かされるので、今後は、学校の近くでこの人手が集まらないかなあ、と思っています。ただ、その枝は、11月から2月くらいの、木が活動を始める前に伐ったもの出ないと、皮つきの教材には適さないのだそうです。 昔から薪つくりなども、農作業の少ない冬場に山仕事をした理由が、そのあたりにあるのですね。今後、また里山に関心が寄せられ、生活の近くから、森の奥へとヒトの手が入っていくと良いなあ、と思っています。 私は、今年、私の冬の暮しとしたら、30年数年ぶり、はじめて床暖房のボイラーを止めてみました。薪ストーブを最大活用。製材所から端材をもらいました。みんな一枚余計に着ました。お客様にもコートを着ていてください、とお願いしました。電気のエアコンを使うと、使う部屋しか暖かくない状況で不便ですが、費用は4分の1ですみそうです。新しい発見でした。足が冷たさをカバーしたくて、靴下用カイロが必需品になっています。でもやればやれるんだ、と自分でもびっくりしています。
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