2009年07月のお知らせ・コラム
2009.07.31
〈一茶の俳句365〉 立涼み寝涼みさても涼しさよ 一茶
きりえタイトル 「しょうじょうばかま」 暑さが本格化してきた。気持ちをシャンとさせないと、何をしていても暑い。
2009.07.30
〈一茶の俳句365〉 村雨が露のにせ玉作りけり 一茶
きりえタイトル「秋がいどう」 アンバランスなハート型の葉に夕立ちの粒がひとしきり。にわかに大玉おn葉露が作られた。
2009.07.29
〈一茶の俳句365〉 風鈴はちんとも言わず蝉の声 一茶
きりえタイトル「とくさの周りで」 庭先の水辺に夏が映っている。さっきまでの涼風が止んだ。蝉の声だけが、静寂を揺らしていた。
2009.07.28
〈一茶の俳句365〉 鬼灯の口つきを姉が指南かな 一茶
きりえタイトル「ほおづき」 どんなに指南しても、娘は鳴らせない。子どもの頃に、実を食べながら、自分で修得させなかった悔いが残された。あなたは鳴らせますか。
2009.07.27
〈一茶の俳句365〉 芋の葉や我れ作りたる露の玉 一茶
きりえタイトル「里いも」 七夕の墨をとく水に、この大粒の露玉を使う地域が多い。私はこの大葉を一日中でも眺めていたい。そのための畑を残したが、日当たり不良で役に立たない。近所の畑の見事な葉に見とれている。
2009.07.26
〈一茶の俳句365〉 おく露の晴天十日つゞくとて 一茶
きりえタイトル「つゆ草」 つゆ草は、混りっけなしの浅葱色。青い色は、この花たちや、空の青、水の青に任せたい。天然の青を大事に守ることは、未来を守ること。ペンキやビニールの青は、田園には似合わない。
2009.07.25
〈一茶の俳句365〉 初瓜や仏に見せてすぐ下げる 一茶
きりえタイトル「きゅうりの花」 夏休みになると、きゅうりが一番おいしくなる。毎日食べる。キリギリスも食べる。味噌もみ、酒粕もみが夏の味。ドレッシングで食べる人は、一年中きゅうりを食べている。
2009.07.24
〈一茶の俳句365〉 玉になれ大玉になれけさの露 一茶
きりえタイトル「トマトの花」 畑でもいで食べたトマトのおいしさ。青くさいから、畑で食べる意味があった。ほんのり赤ければ、食べ頃だった。
2009.07.23
〈一茶の俳句365〉 雲の峰草一本にかくれけり 一茶
きりえタイトル「野あざみ」 鳥も参加して、舞台は第三幕目。スケッチは少し上達したのかな、昨年より。
2009.07.22
〈一茶の俳句365〉 わざわざに蝶も来て舞う夏花かな 一茶
きりえタイトル「蝶あそぶ」 風景は、花一輪あれば、ソロ歌手を登場させる。蝶もいる。変わっていない。トゲトゲの葉で、指を刺して自覚してみた。
2009.07.21
〈一茶の俳句365〉 花さくやいま十八の鬼あざみ 一茶
きりえタイトル「あざみ咲いて」 草むらから伸びて咲くあざみ。自分も指すじをピンと張りたくなる。うつむいていてはいけないよ、と言いきかす。
2009.07.20
〈一茶の俳句365〉 昼顔やざぶゝ汐に馴れて咲く 一茶
きりえタイトル「海の日」 海開きの日に直江津に行くことが、信州びとの喜び。信州の海は、越後びとの物判りの良さに支えられている。
2009.07.19
〈一茶の俳句365〉 涼しさや朝草刈の腰の笛 一茶
きりえタイトル「がまの穂」 ムンスターのハミッチユ先生のお宅でがまの穂のきりえを見せられた。見事に創ってあった。日本人は、世界で一番美しいモノに敏感な民俗のはずだ。なぜ醜いモノに鈍感になってしまったんだろう。壁には写楽の役者絵が、私を睨みつけていた。
2009.07.18
〈一茶の俳句365〉 野に伏せば蚊屋つり草も頼むべし 一茶
きりえタイトル「かやつり草」 蚊屋をつって、その中で眠った時代が懐かしい。
2009.07.17
〈一茶の俳句365〉 うき草や遊びがてらに花のさく 一茶
きりえタイトル「おもだか」 家紋にもなっているので、江戸の世にもおもだかは咲いていたと思う。最近は外来種もあり、八重の花がわが家の水鉢には咲く。
2009.07.16
〈一茶の俳句365〉 山水の清むが上をも水馬 一茶
きりえタイトル「アメンボウ」 水馬と書いて、ミズスマシとルビがふられている。でも、この漢字だったらアメンボウとふりたくなった。広辞苑によると、アメンボの俗称とされている。全く別な目に属する各々。水の上を歩くかすべるか、そのスピードの違いはあるが、どちらも詩人だ。
2009.07.15
〈一茶の俳句365〉 涼しさや切紙の雪はらゝと 一茶
きりえタイトル「水面の詩」 この句に出会った時、私はこの絵に白い紙吹雪の雪を降らせたくなった。
2009.07.14
〈一茶の俳句365〉 一本の草も涼風やどりけり 一茶
きりえタイトル「静寂から」 千曲川に合流する支流は、毛細血管のように数限りなく多い。支流には、本流に見られないポエムがある。小さな風景から目が離せない。
2009.07.13
〈一茶の俳句365〉 来るもよしまた来るもよし橋涼み 一茶
きりえタイトル「カモの親子」 屋島橋もたもとにひふみ渕はある。そこにたたずんで川風に吹かれていると、空に一羽の大鳥が現れた。グライダーだった。
2009.07.12
〈一茶の俳句365〉 門川に足を浸して夏の雨 一茶
きりえタイトル「雨音」 足を水に浸して、足の裏に小石の感触を残す。五感のうちの触を味わう。雨音が聴こえたら水紋も目に焼き付ける。風景を五感で受けとめて、その次の六番目の感覚まで引き出したい。私はそれを「心感」と名づけたい。
2009.07.11
〈一茶の俳句365〉夕立ちを逃さじと行くツバメかな 一茶
きりえタイトル「初夏の風」 まもなくやってくる暑さが予想もできないような爽やかな日が続く。
2009.07.10
〈一茶の俳句365〉夏山や目にもろゝの草の露 一茶
きりえタイトル「佐久の空は広い」 雨あがりの風が、頬にあたると、いつでも十年二十年の時空が往来自在になる。佐久のまっ黒な夜に、飛行機の遠い響きを聞くと、戦争を連想して恐れていた。日本は平和の半世紀以上が続いている。変わらないで欲しい。永遠に。
2009.07.09
〈一茶の俳句365〉短夜をあくせくけぶる浅間かな 一茶
きりえタイトル「佐久の空は青い」 一茶の時代にも浅間山は煙っていたことが興味深い。高校時代のある晩、噴火した。窓から溶岩の炎が見えた。地球は確かに生きている。
2009.07.08
〈一茶の俳句365〉通りぬけせよと柳から柳かな 一茶
きりえタイトル「佐久の空は高い」 その高い空の下、浅間山を望んで広がる五郎兵エ田んぼは、私の声を大きく育てた。
2009.07.07
〈一茶の俳句365〉星様のさゝやき給うけしきかな 一茶
きりえタイトル「七夕」 早朝に稲の葉つゆをひしゃくに集める。稲の花が浮く年もある。花が遅れていると浮かない。祖母はのぞき込んで秋の実りを占った。墨をといて、短冊に願い事を書いた。実際は月遅れ八月七日に行なった。
2009.07.06
〈一茶の俳句365〉ツバクロや子につかはるゝ五月雨 一茶
きりえタイトル「あ、雨が」 梅雨の日が続くと、晴れ間が待ち通しくなる。あ、雨があがったヨ。
2009.07.05
〈一茶の俳句365〉いま参りましたぞ夫婦ツバメかな 一茶
きりえタイトル「仲良し」 雨の線に羽を休めて、ひと休み。
2009.07.04
〈一茶の俳句365〉来る日から人見しりせぬツバメかな 一茶
きりえタイトル「晴れ間」 空気が澄んでいると、風景は色目を鮮やかにする。見慣れた風景にも、話しかけてみたくなる。
2009.07.03
〈一茶の俳句365〉雨あがり朝飯過ぎのやなぎかな 一茶
きりえタイトル「快風」 雨あがりのひと吹きの風が柳をゆらす。
2009.07.02
〈一茶の俳句365〉久しぶりの顔もって来るツバメ 一茶
きりえタイトル「薫る風」 忘れずに同じ里に飛来する目印は、山?それとも川?
2009.07.01
〈一茶の俳句365〉七月の大べら坊の暑さかな 一茶
きりえタイトル「ツバメ来訪」 この朔日は、三十八才で亡くなった弟の誕生日だった。ヤナギサワと発音できないので、ハッパヤギユキヒコと名乗った幼かった弟。ツバメはちゃんと今年も飛来した。
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