2010年05月のお知らせ・コラム
2010.05.17
五月らしい日です。
ようやく、初夏の季節を感じます。連休中は寒かったからか、また風邪をひいて、熱も高くないから、と休みを良いことにだらだらとしました。咳が抜けず、結果周りにうつしました。5月10日には、うちの設計チームは、設計担当の建物が上棟式を迎えました。雨でしたが、無事に終了。工事は着々と進行しているようです。レオの建築には、いつもモニュメントとして「家のうだつ」とも言える造形が設置されます。中野の石川邸では、屋根の下壁に、シンボルマークを金属で創りました。土蔵の壁に入る紋印を例えにしたものでした。長野市の宮下邸では、玄関の入り口に、ガラスブラストでホタルの絵が入っています。 こんどの竹内歯科医院は、どうのようなモニュメンとになるのか。看板がそれにあたるのか。まだはっきりした指令が私に来ません。どんな難題が投げかけられても、それを楽しんで、好い物を創造したいと張り切っています。はやく言いつけて欲しいなあ。
2010.05.16
南石堂の大ケヤキ
街中にめったにないような大ケヤキ群がありました。長野市の保存樹木に制定されていたので、伐られることは無い、と安心していました。ところが、隣のマンションに住む友人から、伐られることになったらしい、と困惑の電話。調べると、その所有である栗田区が土地の活用に邪魔になるので、保存樹木を解除して伐って売ることになった言うのです。五百年のこの大樹を、そんなに簡単に伐ってしまっていいものか、何人かで話し、待ったのお願いをしようということで、早速署名活動をする話しにまとまりました。近隣区長さん方も要望書をだしてくれました。 そもそも、市への苦情は、このケヤキの秋の落ち葉がゴミとして多く出て困るというものだそう。また、樹医さんが木の中が空洞になっていて、倒壊の恐れもあるという見立てなのだという。伐って当たり前という事情だけが、くっきりと表明されてしまって、今さら残したいなどということは、我がままな越権行為だ、くらいにしか受け取られなかったのだそうです。街の中にある何にも代え難い宝物だからこそ、保存樹林に認定し、市民にどれだけ多くの情感を与えてきたか、その数値は、感じない人にはゼロかもしれない。7日に、それは伐られて、一本の樹は、堅くて、象の足のように大地に食いしばって伐られまいとしていました。友人はその様子を悲しみで眺めた夜、ドイツへ帰っていきました。火山灰で飛行機が飛ばない事情などをくぐる抜けて、自宅に帰って、感じたことは、ああ、美しい風景だこと、だったと言います。同じ敗戦国でありながら、ドイツと日本の国民感情の違いが、はっきりと判ったというメール。日本は豊かな国というけれど、真の豊かさと全く別ものだよね、と。 五百年のケヤキを守れない「保存樹木制度」では意味が無いから、この解除の方法を見直してもらわなければ、長野市は緑豊かな街です、などと言えない時がきてしまうでしょう。
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