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2011年11月のお知らせ・コラム

2011.11.25

いのちと平和の森 飯綱高原

19日に、日野原重明先生と善光寺お上人さまとの記念懇話会が行われました。標高の高い飯綱高原での実施。。雨が降っているのに、寒さが無い。珍しい陽気に恵まれました。800席のイスを並べた体育館。午前10時から合唱でお手伝いをする長野ユリーカ女声合唱団は舞台で練習開始。体育館という環境ははじめて。演奏会に練習し尽くしたミサ曲、童謡などを歌いました。
午前中にNHK、abnそれぞれの収録を終え、日野原先生は急遽善光寺参りに行きたいと希望し、出かけられました。お戒壇巡りまで終えて、昼食予定時間には戻ってこられましたから、凄い。
気宇なビッグ対談は、時間通りにスタートしました。お上人さまのお声が響いただけで何か、感涙する感情がこみあげてきました。ここまでお出で下さっている、その現実が手を合わせたくなるような歓びでした。
日野原先生は、これから百歳までお元気で長生きされるなら、何をなさりたいですか?と質問されました。人々と共に生きて行きたい、と淡々とおっしゃるその穏やかなお考えが、無欲な高貴さを物語っていました。
日野原先生は、お上人さまをお見送りした後、50分。歩きながら、とても百歳とは思えない元気な声で長野は文化芸術も自然も他地域に勝っていて自分も本当は住みたい、と話されました。夕暮れを迎えようとしている紅葉の飯綱を車の助手席に乗っていただいてしまったため、真正面から眺めていただいたことは、むしろ飯綱に良い印象を持っていただいのかもしれません。お戒壇巡りでカギに触れ、また寿命が2歳伸びた、と仰ったそうです。次のお参りは5年先の御開帳だそうです。
サインを求め200人以上が列を。そんな強行軍のスケジュール、若やいだ勢いでこなされ、長野駅発18時のあさまで帰京されました。ありがとうございました。

2011.11.08

なぜ燃えてしまったのか、土蔵。

今年の予定されていた展覧会が、6日の信州新町美術館展の最終日をもって、総て終了した。各地の会場への大勢のご来場、本当にありがとうございました。
そんな一段落の気持ちで、信州新町美術館から帰ってきた、作品群を見ながらほっとした夕方だった。
「大変だ、上田の土蔵が焼けてしまった!」という声。大急ぎで夕刊を見て、愕然。また信じられないことが興っていた。上田の丸山邸に残されていた土蔵などの建造物群が、上田市らしい重厚な文化遺産群として、街づくりに活かされようとしていた矢先。その大事な土蔵が火事で焼けてしまったという記事だった。あのように熱意で、活用に情熱を傾けていた皆さんの落胆はいかばかりか。お見舞いの言葉も無い。
この火事の原因は何だろう。火の気が有る場所とは思えない・・・・・。なぜ????
私がこのひと月、創作してきた「平成の卯建つ」という二枚連作の絵に、その土蔵を、私は愛しく刻んで描いたばっかりだったのだ。自分のもうひとつの大事な実家が焼けてしまったように悲しい今夜を過ごしている。

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