柳沢京子ウェブサイト

京子のアルバム

アトリエで作業中の柳沢京子

最新のお知らせ・コラムへ戻る

お知らせ・コラム

過去のお知らせ・コラム

2014年11月のお知らせ・コラム

2014.11.13

反省ばかり

気仙沼展を夕方4時に終えました。三陸新報社の皆さまにお手伝いいただき、片付けて、荷物を積み込み、5時半には、帰り道にいました。晴れているし快適な帰路になるように思いましたから、迷いなく一関へ向ったのです。夕食を高速道に入る前に済ませて、東北道へ。運転役は二人。「そういえば、気仙沼ちゃんは今どうしていますか?と聞かなかったねー」とか、二人は話しながら、延々。やがて会津へ。一旦工事で下道を走りまた高速に入ってサービスエリアのファミマに寄った時、ワー2度しかない。寒むーーい。キーーンと寒気が迫りました。
新潟の米山で休憩、さらにもう一回休憩したのを、私は知らずに座布団で作った後部座席ベッドで眠っていました。
西尾張部に3時に帰着。荷物を降ろしてレンタカー返却して戻って4時。無理な行程だったこと反省しました。なぜ、もう一泊しなかったのか。大事なスタッフに風邪をひかせてしまいました。ゆるしてーーーー。
私は、眠らせて貰ったので、元気。11日には、あさひ公民館で「いつでも新しいこと創めよう!」のタイトルで2時間お喋りを。ストップと止めなければ、いつまででも喋り続けるつもりーーー?と言われそうでした。

2014.11.08

気仙沼展を終えて

三陸新報社ホールは、外階段を上る2階。ビルの3階にありました。皆さんが、何の苦も感ずること無く、登って押し掛けて来てくださいました。歩くのがご苦労かと思えるおかあさんを伴ってお連れくださった方もありました。その意向こそ、大きな災難の末、上に登ることは、苦労とも思わない行動が身に付いた現れなのだと、頭が下がりました。階段を上ることは当たり前、の感覚を私も絶対に忘れないゾー。
ワークショップを初日、午前、午後の2回に設定しましたが、やはり、3日間に振り分けて、毎日開催すべきでした。最期の日には、教材も、本も絵はがきもすべて品切れになってしまい、ガッカリさせてしまった方にお詫びいたします。車で伺っていたのですから、車の中に、倉庫を造ることも考えれば出来たのに、全く考えが及びませんでした。作品は、巡回展のままを積み、灯明祭りの大行灯「祈りの手」も、持参。そのためワゴン車をレンタルして伺ったのに・・・・・。
どこにも、このように絵などを鑑賞出来る場が、今は、無いから・・・・と仮設の店で営業するあさひ寿司の大将の弁。それをお聞きして、せめて、自分の役目が果たせたことを、実感できた3日間でした。皆さまの立ち上がった気運に、私の方が未来への元気をいただきました。
それにしましても、自社ホールを開放し、ゆえに開場整備、接待、駐車場警備、そして今後のプレゼント抽選、配布まで、一切を受け入れていただいたからこそ、これが実現できました。本当にご厄介をお掛けいたしました。
「黒部夜話」著者の武井秀夫外科医のお父さん、武井一二先生が、東北大医学部を修了後、初任地が気仙沼であったとは、思いがけない奇遇でした。この本の出版計画が大町市で進行中に、大糸タイムスの水久保社長との話しから、決まったこの度のご縁。果たして根源は、昭和以前に遡るのかもしれません。この上ない深謝、合掌。

2014.11.05

気仙沼にいます

2011年3月11日、私は国際交流基金の助成事業を終え、成田へ帰国したのが、朝9時過ぎでした。その日、風邪で声が出なくなっていたので、一刻も早く帰宅が第一と考えました。慣れている京成電車で上野へ。そこですぐにあさまに乗れました。
駅に迎えが来てくれていたので、家のソファーに座った時間は、丁度2時でした。
お茶を飲もうとした時に、いつもと違う地震で、どこかが揺れている、と。
たちまち、テレビに映るあの惨状。私は耐え切れず、寝込んでしまいました。
翌朝の栄村の地震。ダウンは3日くらいだと思いましたら、そのまま1週間だったのです。朦朧と下中で、思ったことは、こんな時に、展覧会など不謹慎だ、と伊那展は中止。
ところが、反面、でも、こんな時だから、自分のやれることは、何か。展覧会をやって、そこから、何かを産み出して、届けることしかない。思いなおして実施した。
その日以来、ずっと、被災した皆さまが、癒されるために、作品を持って伺えるように成る日を待とう、とずっと待ってきました。
大町市の大糸タイムスの水久保社長の英断が、気仙沼市の三陸新報社長、浅倉眞理さん、専務で妹の渡邉眞紀さんにつながったのです。
3日に、一関まで高速で7時間、そこから気仙沼まで1時間。仙台からもかなり遠いところに気仙沼はあります。4日、九条小学校で6年生ときりえ教室が出来ました。
始めての体験にも関わらず、2時限を夢中で刻み、全員が1作品を仕上げてくれました。カッターを初めて持った生徒も、たちまち修得して、真剣でした。
今日から、三陸新報さんのホールで50作品を展示。社屋の目の前には、まだ仮設住宅もあるのです。現実のお話をお聞きしますと、思いは一層複雑になり、悲しみを掘り起こしてしまう罪も感じている今朝ですが、誠意を尽してみます。
ご来場者へのきりえのワークショップも、予約申し込みを大勢からいただいているとのこと。どんな僅かでも「少しの心への栄養」になれるようお手伝いをしてみます。
7日まで行ないます。快晴の朝です。

前のページへ戻る

build by phk-imgdiary Ver.1.22