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2015年11月のお知らせ・コラム

2015.11.19

ラオスから帰国

ラオスの首都ビエンチャンからバスで1時間半くらいの所にナーノッククム村はありました。村中と言って良い皆さんが、学校建設の場所に集まって歓迎してくれたのです。
贈呈の式典が済み、建設の現場で、組み立てられた柱の枠内に、コンクリートを流し込むのが起工式の儀式でした。2メートルくらいの足場に登って、その時には、石でも、コインでも、何かを一緒に投入してください、と言われ、みんな日本円の100円、50円を持っているヒトから貰い投入しました。同行の中に、神官の女性がいましたので、その場で、祝詞があげられた時には、この一帯に、シーンとした引き締まった空気が流れ、とりわけうれしい気がしました。
この起工する小学校校舎は、ラオス・日本国交60周年記念の校舎となりました。
村の皆さんの手づくりの料理が、テーブル狭しと並んでいました。野菜とひき肉のラオスらしい1品にはじまり、この村では、ナマズではなく鯉のようなお魚の唐揚げでした。蒸した餅米のカオ・ニャオ、竹筒にお米を入れ、ココナツミルクで甘く味付けされたカオ・ラームなどなど。うちの高校生とラオスの小学生、中学生は、すぐに仲良しになり、輪になって交流したり、運動会に興じたり・・・。折り紙で風船を作り、自分の口で吹いて膨らませた時に見せる子どもたちの笑顔が、何と可愛いことか。黄金の仏舎利と凱旋門のスノーボールが、私のコレクションに加わりました。

2015.11.10

ユリーカ女声合唱団コンサートで

孫が、「しゃぼん玉」の歌に合わせて、舞台でしゃぼん玉を吹くことになっていました。朝には、ホクトホールへ行く予定で張り切っていたのに、何と、夜中に吐いたというので、びっくり。しかし、練習は何とか意地を見せてクリアしていましたが、顔色がいかにも青い・・・・・。本人は、懸命に何とも無いよ、と・・・・・。
本番まで時間があったので、楽屋ロビーの椅子で、横にならせ手をさすってやると眠りました。通路なので、大勢が見ながら通っていきました・・・・。
1時間ほど眠ったら、頬に赤みが差してきて、これなら、大丈夫、私は座席へ座って観劇できました。無事に役目を果たし終えたのには、感心しました。自分でやりたい、と決めたからか、泣き言は言わず、耐えてやり抜き、その夜は、お風呂に入って眠ったと言います。食欲はなかった・・・。しかし、朝、目覚めて大下痢。ついに、皆勤賞諦めて、学校を休みました。
風邪ではなく、単なる緊張で、こうなったということなのか。一日休んだら、元気になって、また通学したのですから、子どもは不思議でーーす。
私は、風邪ならたいへんとヒヤヒヤ。今夜発って、明日の早朝にはラオスへ。小学校校舎贈呈の企画があり、出向くからです。何も問題なく、無事出発出来そうです。

2015.11.05

志賀高原の澗滿瀧

今日は、山ノ内町のサンセット風景を創るため、取材に出ました。志賀高原から温泉を通して見えるサンセットを臨みたくて・・・・・・。
そのポイントを探して登っていくと、展望台の看板発見。行ってみますと、そこは、西の空を展望するのではなく、東の位置に「かんまん瀧」が、ぱーっと、開けたのです。切り立つ志賀の山肌に、大きな瀧。永年志賀高原へ親しんで来ていたのにこの瀧を初めて見ました。この谷間の深さは、かなりです。若山牧水が、草津から渋への旅で、この瀧に出会った時のエッセイが、石碑になっています。
きちんと整備されているので、安全に臨めますが、こちらも切り立つ山の淵からの眺めですから、高くて足がゾクゾクしました。
そこから、西の空は臨めず。造られた道路からの眺めが最も広がりがあります。危ないのでそこは、通過しながら、あーーーっすごい、と一瞬の残像のみ。北アルプス、北信五岳に夕日が落ちて行くのです。今日は、ありがたいことに、刈り入れの田んぼから一筋の煙が立ち上っていました。
この絵は仕上げて、11月28日から志賀高原ロマン美術館に展示します。

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